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はじめに ~うさぎさんの終活日記~


父が癌で余命6ヶ月の宣告を受け、入院3日目に余命1ヶ月と訂正が入り、1ヶ月後には本当にあっけなく逝ってしまいました。2ヶ月間は激しい痛みに襲われていましたが、亡くなる前日には嘘のように痛みが消えて穏やかな表情だったのがせめてもの救いでした。18年前、2000年夏の終わりの事です。

1995年亡父は60才の時に大腸癌で緊急手術を受けましたが、リンパ管まで浸潤していたため、いつどこから再発しても不思議ではない状態でした。当時はまだ本人への告知やセカンドオピニオンなどはほとんどない時代でしたので、母親の意向で告知はしませんでした。

私なら本当の事が知りたいかも・・・と思ったのを覚えています。39歳の時です。

中学生になるかならないかの頃からでしょうか、父と母の平凡な生活を退屈そうだと思っていました。

「波乱万丈」を夢見ていたわけではなかったのですが・・・。

20歳で結婚して子供は男の子が二人。もちろん、楽しい事や嬉しい事もありましたが、子育ても含めこの40年間は、あまり人様には聞かれたくない盛沢山の苦悩と戦いの日々でした。

45歳の時に主人が心臓病に、48歳の時に義母がアルツハイマー型認知症に、その少し後義父が膠原病とレビー小体型認知症を併発しました。昨年の年明け義母が亡くなり、続けて義兄が糖尿病で入院、主人が健康診断で肝臓に腫瘍が見つかり、義父が肺炎で入院し・・・。特にこの1年は何か悪いものに呪われたのかと思えるくらい主人の実家では色々と続き、父が亡くなった以降は特に平凡とは程遠い日々でした。

「平凡が退屈そうだ」などと思った天罰なのか、願いが叶ったのか、さてどちらだろう?と思う今日この頃です。 最近は「終活」と言う言葉をよく耳にしますが、私も数年前から義父母の介護を手伝いながら「老後」と言うものを真剣に考えなければと思うようになりました。

20代の頃から漠然と最後に住むなら大好きな京都の近くか、富士山の見える所で暮らしたいと思っていました。なぜそう思うようになったのかはいくら考えても思い出せないのですが。。。

2年前に主人が定年を迎え、1年ごとの契約社員となり今年の62歳のお誕生日から年金がもらえるようになります。私も働いていましたが、数年前から更年期障害の症状が重くなり加えて今までの積重なった疲れがピークに達したようで、とうとうからだが動かなくなり4月で仕事を辞めました。

クリニックで医療事務、医療事務の非常勤講師、自営でカフェ・アーユルヴェーダサロン、その他にもいくつか掛け持ちで働いていました。自分のことながら頑張ったと思います。

義母が亡くなって以来、思い切って好きな所でのんびりと暮らしたいと言う思いが常にありましたが

なかなか主人には本気にしてもらえませんでした。

所が、いよいよ体調が絶不調になった今年に入り、移り住むならあそこが良いな、ここも良いなと言う私の言葉に主人が反応するようになってきました。

すかさずネットで色々と調べて主人に提案し、最終的には場所は伊豆半島と決めました。

本気で聞いてくれているのかどうか判断に困りましたが、4月には修善寺の別荘地を見学に連れ出す事に成功しました。

詳しい事は又次回、お話しさせて頂きます。

手元供養のRinne


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